タロットの勉強を通じて気がついた自分の考え方の習慣
タロットを勉強することで、タロットを使えるようになるだけじゃなくてほかの面での気づきや自分の中の変化がでてきているように思います。
今日は、気づきの一つ目のお話をしたいと思います。
2017年11月、タロットをひょんなことから教わることとなり、久しぶりに「先生から教わる」ということとなりました。(その前から、教わっていたこともあるのですが、なんだかそんな気分になったのです)
ちなみに過去のブログにも書きましたが、私の先生、スパルタです(たぶん)。
怒号が飛んでくるとかのスパルタではなくて、可愛い顔して、優しい声して、「じゃ~次までに●●できるようになってきてね♡」というのです。
「は~い♡」と返事をし家に帰って冷静になると、その●●が、「え~~~自力で??どうやって??」と思うのこと多しです。。。笑
なんというか、学校教育でうけてきた教育では、ある程度、やり方・解き方を教えてくれて、宿題とかで慣れる/覚えるという流れだったきがします。それが染み付いているせいか、タロットを教えてくれる先生がスパルタに感じます。(けど、嫌いじゃない!むしろ、独学が大好きだから、ありがたいっちゃありがたい!)
そんな先生に2017年11月末に「2月までに、タロットの意味ぜ~んぶ覚えてきてね!あと、ケルト十字のやり方も覚えてきてね!」と言われました。
次のレッスンの日(1月中旬くらい)が近づくにつれて、「やば~~~い!覚えてきてねといわれてるけど、大丈夫か??私!?」という事態になっておりました。そもそも期限ぎりぎりにならないとお尻に火がつかない性格なもんで!!!あと、心配性なもので。
そのときに、ふと頭に浮かんだのは、「あ~~~覚えていかなきゃ怒られる~~~~」という言葉でした。
私の先生、怒りはしないと思うのです。やってなくて「やりました~」なんて嘘ついたとしたら、「え?やってないよね~」なんてバレる千里眼的な人だけど、怒りはしないと思うのです。
なのに、なぜか「怒られる」という思いが浮上しました。
そこでふと「あ、これ、思考の癖だわ」ときづいたのでした。
きっと小さいときから「怒られるから、ちゃんとやっておこう」って思ってきたようです、私。
冷静な視点でものごとをみてみると、「怒られるからやるって、自主性がない」とも思います。だから、なんだかそんな考え方がもったいない気がしました。モチベーションもあがりにくいし。
どうやったら、モチベーションが上がりやすく、いい循環をもって勉強できるかを考えたときに思ったのは、「全部覚えていったほうが次のレッスンが有意義になる」でした。(あ、個人レッスンなので、私の熟達度合いでレッスンがすすみます)
もし期限までに「覚えてこれませんでした」だったら、授業は進みにくい。
けど、期限までに覚えると次のレッスンの充実度は違うと思います。
例えば、九九を覚えていかなかったら、九九の先の授業には進みにくいし理解度も進みにくいけど、九九を覚えて授業に臨んだら先の授業にも進むし、応用問題にもとりかかれるかもしれないって感じ。(わかりにくいかな??)
とにもかくにも「怒られるからやろう」なんて、大人になっても思うんだ!というのが自分でびっくりでした。
しかも、別に怒る人じゃないのに。
そうやって、いろんな無意識の思い込みで、自分で自分の行動を制限したり、可能性をしぼめていたり、循環が悪くなっていることあるんだな~というのを改めて思ったのでした。
ちなみに、今の私は、「やらなきゃ怒られる」ではなくて、「言われたこと以上のことができるようになろう」がモチベーション!
つまり、予習ってことです^^
さぁ~めきめきやるぞ~!!!(気合だけは十分♪)